Minato Serenade

湊の小夜曲

読書に丸一日。

 少し睡眠が取れるようになって読書。薬が変わってからFitbitでは「深い睡眠」が1秒たりとも記録されなかったのだが、今日は30分ほど取れるようになった。

 行きつけの喫茶店に本を持ち込んだら混んでいて(行く時間が遅かったからなのだが)そのことで逆に気楽になった。みっちり読書。読書にのめり込むと落ち着きをなくしたように見える私。傍目から見ると、かなり怪しい人だったのではないかと…。

 鷺沢萠氏の命日が近いので、それまでに何か読んで書評を1本上げようかと思っている。たまにはエッセーなども良いか。しかし、決して多作の人ではないのに、もう何年、掛かっているのだろう。

 帰ってきて、魚拓で鷺沢萠氏の日記を読んでいる。これって本に収録されなかった分なのかな…。URLを書こうか迷ったが、管理人の意図で非公開になっているものを公開するのも嫌なので止める。

情報の信頼性が重要視されない日本。

 良い情報とは重要性(ニーズ)と信頼性が高い情報だと思うが、つくづく重要度ばかりが重視されて信頼性が欠如している情報が流れているのか実感した。

 

 ある口コミサイトで私の主治医が悪く書かれていて、それで最近、患者の数が少ないのだと判った。

 たしかに、指摘されていたことも一理ありと思うし、このレビューのいいところは、他の医師との比較で書かれているところだ。良い医師が見付かってよかった。

 問題は、基づく事実や理由が全く提示されていないレビューが多いところだ。敵も多ければ見方も多いではないが、私の主治医はファンが多く、今まで悪いレビューというものが、ほとんどなかった。

 良いことで埋まっているのならいいじゃん、と思うあなたは問題があると思う。それが本当に「良い」のか、どこにも理由や証拠がないからだ。

 

 資料が必要となり、ちょっとネットストーカーに私のBlogを炎上させられたときの事実の検証を行った。

 私のことを面白おかしく嘘で固めた(書いていないものを「~と書いている」などと書いたり、面識もないのにカウンセリングを頼まれたと書いたり… 呆れる)風説を流布したからなのだが、どうして、それが「流布」されてしまったのか。

 背景にあるのは三文週刊誌のようなゴシックが欲しくて、身近で、そういうネタを探していた輩が「にほんブログ村」というサイトに屯していたという事実が判った。

 この、Blogという表向きは他人様に見せる文章の体を装いながら、SNSのような慣れあいを行っているサイト見て、気持ち悪くなってしまった。

 

 結局、皆、ファクトなど、どうでもいいのである。面白おかしく、自分に都合がいい情報が欲しいのである。

 そんな、クズ情報を集めるのが好きな国民ばかりいれば、それはマスコミは客観性を失うだろうし、それがニーズなのだから仕方がないことだろう。

思いっきり心の闇に落ちた。

 昨晩は薬が元に戻って眠気も回復した。ただ、薬がきつくて、変な体勢で寝てしまったのだが動けない。結果、寝違えたのの激しいような変な痛さで、あまり深く眠れない。激しくない普通の寝違え方しか知らなかった10年前に戻りたい。

 今朝も外でタワーマンションを建てる工事の音で目が覚めるが身体が動かない。この薬(ラミクタールとビプレッソ)けっこう残る。これも、身体が動かないということがなかった昔に戻りたい。

 そして、また、昔は、この時間には働けていていたのにとか、どうしてこんなになってしまったのだろうという感覚に囚われる。昨日から担当の新任の保健師に話をすると前向きでいいと思いますと言われる。

 最近、このBlogが、なんか、病んだ私の吐き出し口みたいになっている。更新を止めてリフレッシュした方が良いのだろうか。ペンネームも「ヤン・デルマン」にでも変えて、この路線を突っ走ってしまった方が良いのだろうか。