Minato Serenade

湊の小夜曲

死にたい気持ちは育てられるものかも。

 今年、初めて感じた感情は「死にたい」で、正月1番に口にした言葉もそれである。Facebookを見て、バイクに乗る友人が元旦ツーリングなどを楽しんでいるのを見て、いいなぁと書いたら、もっと積極的に楽しまないとといわれた。

 前述のように私は遊ぶことを許されず子供のときから部屋に監禁されていた。本を読んでいても破り捨てられた。よく両親を惨殺しませんでしたねと主治医に言われた。なので、これといって楽しみはない。

 楽しみがないどころか何をやっても楽しくない。友達付き合いをすると怒られる。むしろ後ろめたささえ感じる。親は、私が若ければ大型の免許を取ってバイクで走り回るのにと言いながら、言った相手には、それを許さない。

 なので、楽しめと言われたところで何をやっても楽しくないのだ。結局、私の楽しみは勉強となったが、家族には勉強など楽しいはずがないから机に向かっていられるというのはボーッとしているに決まっていると言われ、大学には行かせてもらえなかった。当然、成績は全優だし大学には合格しているのにもかかわらずである。

 私がクズ医者と呼ぶ前任の主治医に高校で教師のイジメに遭ったことを話したら、やはり勉強なんて面白いはずがないのだから、体育以外、高校など面白いはずがないと言われた。私には体育など面白くないし、その教師のイジメで自殺した生徒が複数いるのに、そういうことを考慮に入れないのは思慮が浅いと思う。

 結局、その教師のイジメで自殺した数人の生徒といい、結局、死にたいと思う人は楽しむことを削いで削いで削がれてきたのではないかと思う。生きる喜びを徹底的に排除する、そうすると死ぬということは自然と選択肢に入って来る。

一戸建てのネックはゴミ出し。

 東京に帰ってきた(といっても松戸の実家からだが)。母(寓居付近の育ち)の、あそこのあれ、あれまだある? に付き合わされて昨日は寝そびれた。私が育ったところに母が住み、母が育ったところに私が住んでいるのだ。

 そんな中Facebookを見ていたら、友人が、正月に溜まったゴミが新年最初のゴミ出しに間に合わなかったと書いていた。寓居はマンションでゴミ置き場があり24時間出せるから、ゴミの収集は、さほど気になることはない。収集時間も午前10時ころだ。

 そういえば以前、実家にいたとき、ゴミ当番というのが回ってきた。まぁ、ゴミ置き場の清掃だ。金属製の檻みたいなカゴに入れるのでカラスなどに荒らされる心配はないと思うのだが、以前、規則外のゴミ袋でゴミ出しをした人に「まさか今日は違反の袋で出していないでしょうね」とメッセージが書いてあり、ヤな感じと思った。

 Facebookでゴミ出しに間に合わなかったと書いていた人は埼玉の人だが、どこもゴミ収集が早いらしい。前日に出してはいけないのか訊くと、その人の家も私の実家もいけないそうだ。なぜだ。

 私の母は夜は日付が変わるころに寝て昼過ぎに起きる生活をしているので、ゴミ出しをするときは朝方まで起きていて、それからゴミ出しをするらしい。それに、齢87歳にしてゴミ当番もしなければならないらしい。

 私は、今、昼過ぎまで起きられないので、実家暮らしをしたら、毎回、ゴミ出しには間に合わないことになる。庭の片隅などがゴミの山になるのかと思うと嫌悪感を覚える。アルバイトでゴミ出しをしてくれる人はいないのだろうか。

 家の中のことは、多少、掃除をしなくても庭の手入れができていなくても、他人に迷惑は掛からない。しかし、ゴミを出すというのは他人が関わることである。一戸建てに住んでいて、これが最もネックになるなと思った。

今日、見た一番カッコいい人は農家のオジサンだった。

 松戸滞在最終日。松戸といっても柏との境にある、けっこう田舎の町である。数年前あたりに有名なパン屋ができて町も有名になった。

 そのような町なので、たまに軽トラックなどが走っていたりする。今日、母に付き添って買い物に行った帰りのこと。

 その軽トラックは停止線でピタッと一時停止し、車間を空けてくれる車に手で合図をし、通過するのを待っていた私たちに頭を下げて去っていった。

 軽トラックなので農家のオジサンなのだと思うのだが、品川ナンバーを付けて(注・会社の車)都心を這い回っていた私から見ても清々しい。

 相手に良い印象を与えないだけでなく、わざと悪印象を振りまいて走っている車がいるが、あれは逆にカッコ悪いなと思う。

 人間、必要なのは愛嬌だよな… と思う。

2021年の予定。

 明日から仕事始めで、松戸での用事も片付けて東京に帰ることができる。それが私にとっても仕事始め。

 Google AdSenseが、なぜか初日しか報酬が発生していない。この辺の解決が今年の最初の方のゴチャゴチャした手続きの1つになるだろう。

 他、金のための仕事などがあるが、そういうものは除いて、今年は文学に力を入れたいと思っている。

 ただ、デビュー当時は、外界を描く人が多い中にあって珍しく内界を描く人と言われたが、さほど珍しいことではなくなり、これは自らの経験に謙虚に目を向けなければならない。

 他方、外界と言えば他者の作品に目を向けたいと思う。本が読めなくなって久しいが、なんとか、最近になりTVドラマは集中して観ることができるようになった。

 今年は、再び読書ができるようになって、また書評が書けるようになりたいと、これは願望である。

 2021年、そんな風に過ごしていきたいと思う。後はコロナ禍が収まってくれるのを祈るばかりだ。

常識と習慣。

 正月2日になり、やっと年が明けた気がする。昨晩、新しい日記帳に日記をつけ始めて、あぁ、令和で行くと3年なんだなぁと初めて知った。なんか、令和は元年から元号での数え方がおかしい。

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 さて、正月といえば初詣である。訪問看護師に母から距離を取って喫茶店に行ってくださいと言われる。しかし、喫茶店は、最寄りといっても歩いて20分以上かかる北小金駅のドトールしかなく、駅まで行った。

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 年の初めに冒険をしようと「タピオカ黒糖ミルク」なるものを頼んでみる。黒糖って粉っぽいのかなと思いきや、ミルクと混ざってミルクセーキのような味になって美味しかった。

 ドトールで外を見ていると、駅とは反対の方向に向かって人が歩いていく。手には破魔矢などが下げられていて、そういえば、この先に名刹と呼ばれる寺があるのを思い出す。駅の反対側にも名刹と呼ばれる寺があり、破魔矢の類を下げている人は、そちらに先に行ったのだろう。

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 ここは元々、水戸徳川家のお狩場だったところで、ここ以外にも松戸には徳川家由来の何それが沢山ある。仁王像がある立派な山門がある。山門の裏には狛犬? があり、それって神社にあるものではないの? と思う。

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 寺といえば昨年、門前仲町かどこかで友人と寺と神社に参拝したとき、柏手を打つのが神社だよね? と言われた。私も二礼なんちゃらを知ったのは最近のことだし、それは単なる慣習だと思っている。

 寺社仏閣とは関係がないが、昨年、係累が1人、亡くなって、我が家にもご先祖様が祀られることになった。そこで、朝、起きたら仏様に供え物をして線香を上げて… と言われて、あぁ、これが映画などでよく見る、学校へ急ぐ高校生が仏壇の前で手を合わせてから行くように親に言われているやつかと思う。

 これらの習慣がないので知らない人たちを、多くはないが常識がないと言う人がいる。元号で何年か知らないの? 神社で柏手を打つの知らないの? 仏壇に何をするのか知らないの? これらのことを知らないのは非常識なのだろうか。

 あるとき、干支を全部言えないのは非常識と言った人に、逆に睦月から師走まで言える?と訊いたら言えないという。JanuaryからDecemberまでも言えないという。むしろ、古典や英文を読んでいて、干支を全部言えるより重要ではないかと思う。

 そういう、慣習に近いものを知らなくても非常識ではないと思っている私であるが、唯一、これは常識に近いものとして身に付けておきたかったというものがある。私は「いただきます」をするときに両手を合わせない。大人になって外国人に触れるようになったら、これは、海外で日本人か否かを見極める重要なポイントであると言われたからだ。

地方から出てきている人ってどうしているの?

 明けましておめでとうございます。本当は喪中なので禁句なのですが、亡くなったのは身内といっても身内でないような人間なのでいいです。

 さて、私は相変わらず千葉県松戸市にいる。一昨日(12月30日)に来たとき、電車の中は子供連れの若夫婦で賑わっていた。

 私よりは長く乗っていたので、まぁ、同じ千葉県の柏か安孫子(千代田線直通電車の終点)あたりなのだろうが、他人の話によると、その辺では、まだ「田舎に帰る」とは言えないそう。

 しかし、このような環境で、感染リスクが高まる長距離の移動などできない。地方出身の人は、どうしているのだろうか。

 しかし、上述の人は「田舎に帰る」を新幹線や飛行機による移動と定義していたのだけど、そうすると完全に二拠点生活。

 私の周囲は東京出身者ばかりなのだけど、地方に帰郷する人はアウェイからホームに戻るようなことになる。そうなると、帰郷できないというのは、かなり痛い。

 また、私は物心ついた時から親戚は両親と叔父しかいなかったのだが、親戚が一堂に会すというのも、何か特別な感情が沸くのだろうか。

コロナ禍の寺の年越し。

 実家の近所には名刹と言われる寺が2つある。もともと水戸街道(現・国道6号線)の宿場町で、当時からの寺である。

 そのうちの1つの寺のFacebookから流れてきたのだが、除夜の鐘を突くのを午後4時からにしますとのこと。また、初詣も密を避ける方策を練っているらしい。

 師走といえど坊主が走り回るわけにもいかず、年越しまで異常な年末だった。コロナ禍が始まったときには年末には落ち着いていると思ったのだが、ますます猛威を振るっている。

 年末まで、そんな日常だったが、来年こそ平和になってほしい。皆さまも、よいお年を。

 

P.S. 緊急事態宣言下の渋谷の写真が入ったエントリーがあったはずだが、外出先で見当たらないので、今年のゴールデンウィークの渋谷のYouTube映像を貼っておきます(音が出ます)。


2020年05月05日・渋谷ハチ公前スクランブル交差点