Minato Serenade

本人が書いているとかいって風説を流布する61歳キショい。

昨日は大変だった。

 一昨日から実家に来ている。87歳で人工股関節を入れている母の面倒を見たり溜まった事務を熟すのが物凄く大変なのだが、ネットストーカーが金を集(たか)りに来ているような言い草で、散財に対する文句を言われるのが嫌で来ないなどと(幼稚なので「何せ、ずれた金銭感覚の持ち主だから」と見てきたように書いたり「お小言」など「おこちゃま言葉」を書いている)を「事実」として書いていて、嫌な気分がして書けなかった。それだけ気が弱っていた。下に引用するが、月の生活費5万円で暮らしてみろ。また、これも事実として、物書きは全員、村上春樹と同じ仕事習慣を持っているかのように書いている。警視庁を警察だと知らなかったり、夜遊びがキャバクラ通いになってしまうように、物書きはすべて村上春樹になってしまうほど、本当に頭が悪いのだ。

daisukikana.livedoor.blog

 

 ちなみに、なぜネットストーカーが、私が豪遊しているなどというのか、精神科医ではなく心理学者に聞いたところ、それは「傲慢症候群」だけでなく「投影」というものらしい。自分がそうしたいと思ってできないことが他人に向くようである。オウム真理教や政治家について頻繁に書いていることも、自分も同教信者や彼らのように特別な存在でありたいということの投影のようだ。そして、やはりサイコパスであることが指摘された。目立ちたくて大罪を犯して一生、牢屋に入っていろといいたいが、一生、娑婆には出られないが刑務所より病院行きの方が可能性が高いという。

 

 さて、実家から車で10分ほどのところにショッピングモールができた。過疎化が進む私の町と違って大きなスーパーマーケットや鮮魚や青果の専門店が入っている。また、どうして、こういうテナントのチョイスになるのか判らないが、一例でもユニクロとドゥクラッセとワークマンとH&Mと無印良品が入っている。

 私が住む町から巡回バスがあるのだが、母がモタモタしていてバスが出てしまった。ショッピングモールまで歩くという。同年代の人間と歩くのなら苦にならないが、そんな母に付き合って40分かけて歩き、その時点で疲れている。

 買い物は母だけがした。私は荷物持ちだ。行ってみたい店にも行っていない。2時間かかった。帰り、喫茶店に寄ろうと言ったら拒絶された。荷物が3㎏あるので、せめてタクシーで帰ろうと言ったら怒鳴られた。私は頭がガンガンして立っていられなくなり、1人で喫茶店に駆け込んだ。そして落ち着いて母を探しに行ったらいない。インフォメーションカウンターにも連絡がないという。

 最終の循環バスまで探し回ってから帰る。疲れて降りられずバス停を乗り過ごしてしまう。そして、帰ったら母は実家で買い物を広げている。1人で循環バスに乗れないと言っていたので、おそらく私にはタクシーに乗せたくないが自分はタクシーで帰ってきたのだろう。おかげで丸1日たっても、まだ頭がガンガンして薬を服んでいる。

 何か言ってやりました?と知人に訊かれ、特にと言ったら優しいと言われたのだが、甘いのやらなんなのやら。今日、ちょっと飲食店に入ったのだが、飲食物が触るところを平気でベタベタ触っているガキがいたのに注意できなかった。それを叱ってくれた人には礼を言えたけど。

捏造した嘘の人格攻撃、楽しい?

 

 私の本名を書いて顔写真までアップして嘘の生活を捏造して流布して、あなたの言葉曰く「ネタ」「サカナ」にして「イチャモンを付ける」ことしか楽しみしかないあなたへ。

 

persona0419.jugem.jp

 

 「別れの辞」ねぇ。もう飽きたよ。回数だけでなく、いつまでも残しておいて別れる気がないんでしょ。私からの私信まで引用されている他社からの親展文書を公開していることについては当事者に通告済みだからね。

 知らないみたいだから教えてあげるけど、風説というのは流布したり嘘っていうのは吐いちゃいけないものなんだよ! そういう常識もないんだね! 恥ずかしいね! 還暦過ぎの人間として。

 しかし信用状が「英語の伝票」になったり、夜遊びが「キャバクラ通い」になったり、最初は矮小化する想像力が凄いのかと思ったら、警視庁を警察だと知らなかったり、単にバカでそうとしか解釈できないんだね!

 本当に「さようなら」って何回目? 忘れた? また大好きな「陰でコソコソ」やるんだろうね! あと、綺麗な女性を見たら犯したくなるのは普通って書いてるけど普通じゃないよ! 人生経験から解らないのかな? 還暦過ぎの人間として。

 

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「毒舌娘」 by comorava

 

 

 自分の詐病を指摘されたからって他人まで詐病にするとは恥ずかしいよ! そして陰でコソコソが信条とはいえ嘘を指摘されるとリンク切ったりnoindexを入れたり非公開のTwitter・Facebookでシェアするのも恥ずかしいよ! 還暦過ぎの人間として。

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「毒舌娘」 by comorava

 

 

 捨てがたいけど、自分が誇りに思っているものは成長がない幼稚性だと気が付いた方がいいよ! あなたが持っていない道徳心や国語力は本来は小学生で備わっているものだよ。反論は不問に付すって自分で始めた人間の言葉じゃないよね! 本当に恥じた方がいいよ! 還暦過ぎの人間として。

 

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「毒舌娘」 by comorava

 

さーて本でも読んで寝よーっと。

 

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「毒舌娘」 by comorava

湊クラシックス➂ 「身の上話」を書く理由(鷺沢萠『駆ける少年』を読んで)。

※このエントリーは2018年8月18日、前Blog2年目に掲載したものをクラシックスとして再掲載したものです。

 


 

 今日から、このBlogも2年目に入った。今まで読んでくれた方、コメントを寄せてくださった方には、感謝しかない。自分がやっていることに自信が持てます。ありがとうございます。

 

 私は朝から机に向かって鷺沢萠『駆ける少年』を読んでいた。しかし、外の騒音が気になって、まったく頭に入らない。部屋の目の前のビルでは再開発のための取り壊し工事が始まっていて、大きなクレーンで重機を20階近い建物の上に載せて作業が行われている。

 今日の東京は朝から風が吹いている。エアコンの原理がどういうものか知らないが、寓居のエアコンは湿度が低いと動作が悪い。なので、室温は28℃に達するが湿度が40%以下という状況では付けても意味がないから窓を開けていた。

 鬱陶しい。1日単位で容貌を変えていく町も、通り過ぎていく車の騒音も、すべてが私を苛立たせる。私は騒がしさより静けさの方が苦手で、東京拘置所に入れられていたときも、小菅という都内にありながら静かすぎて眠れなかったほどだ。

 しかし、今日は、それらが非常に煩く感じるのだ。そして逃げ出すことはできない。江戸時代から、代々、東京で暮らしている我が家族には郷里などという場所はない。私が子供時代を過ごした松戸市小金原の家も朽ち果ててしまっているし、そもそも町が寂れて人が住むところではなくなっている。

 とにもかくにも鷺沢萠『駆ける少年』は、その所収する3編すべてを読み終えた。表題作『駆ける少年』は筆者が父親の足跡をたどった物語である。同じ泉鏡花賞受賞作ということもあってか、やはり祖父の生涯を追った村松友視『鎌倉のおばさん』を彷彿とさせる。

 泉鏡花というと『高野聖』に代表される耽美というか妙なエロティシズムのようなものが連想されるが、泉鏡花賞というのは、その文学性とは関係なく催されているようである。また、村松友視を目指していた鷺沢萠の方が、ずっと先に獲っているところも興味深い。(村松友視先生は現在の選考委員に名を連ねている。)

 1編目『銀河の町』については、以前のエントリーで触れたので、そちらを参考にされたい。さて、表題作『駆ける少年』と、それに続く『痩せた背中』である。両者に共通しているのは、生き急いだ人について書かれているということだ。

 文学作品、特に小説は全体を通して一作品なので、一部分を切り出すことは作品を冒涜するような気がするが、あえて抜き出す。たとえば『駆ける少年』には、このような表現が出てくる。

怖くなかったのでは決してない。ただ、その怖さを抑圧してでもどこかへ行かなければ、自分自身を救えなかったというだけだ。

 また、これも、一部を切り出したために「オイサン」や「粒々」といった単語が意味するところが判らないと思うが、『痩せた背中』には、こういう表現が出てくる。

 オイサンもやはり、身体の中に抱えきれないほどの粒々を持って、どうしていいのか判らない熱い気持ちのために途方に暮れていたのかもしれない。

「そういうワケにもいかない、か……」

 小さく呟いてみた。

  この2編に先立つ1編『銀河の町』を含め、これらの小説の登場人物たちが置かれた立場は、けっして恵まれてはいない。私は『銀河の町』をエレジーと書いたが、それは、現状の生活を維持していこうという人たちの思いが、くじかれるからだ。

 当たり前のことだが、生物は生きていかなければいけない。さらに人間は幸せを求めるし、それは、希求権としてだが権利として憲法に謳われている。少なくとも、この物語の登場人物たちは、不幸な現実を、なんとかしなければと思っている。

 原典がないのでタイトルすらウロ覚えだが、たしか、筆者には「理由なんてない」というようなタイトルのエッセーがあった。内容としては、なぜ書くのかと訊かれるが、書きたいから書くのであって理由などないという趣旨だった。

 同じように、この本の登場人物が幸せに生きたいと思うことに理由があるのだろうか? それは、生物として、人間としての摂理ではないのか。そんなことを思う1冊の本だった。そして、それは、そのまま、なぜ、自分が物を書くのかということに通じる理由だ。

 現状に満足できない自分という存在を考えると、やはり、なぜ、そうなったのかを考えなければいけない。書くことは考えること。過去は変えられないといって、そのことに否定的な人が多い。しかし、私は、その原因を突き止めたい。そして、その思いを他人に伝えたい。同じ轍を踏んでほしくない。

 英語に"personal fulfillment"という熟語(?)がある。私が「身の上話」を書くということは、人生における山のような存在で、それが、苦難を伴っても、登ることに理由などない。気が済むには登るしかないのだ。

 

P.S. 苦難のひとつとして、私の不幸を引き起こした両親に、明日にでも会ってこようと思います。気が進まないけど、現実を直視して未来に進むために。

読めない、書けない。

 以前のエントリーで書いたが、本を読むことができない。テーブルの上にある何冊かの本を手に取るのだが、数行、読んだだけで苦痛になる。

 同様に、このBlogですら書けない。かつての雑誌に書評を書いていたころが嘘のようだ。当時の本の内容も忘れている。

 大学の非常勤などが映画に関する評論を書いていたりして、まさか彼らの肩書が「大学非常勤講師」だと様にならないから「映画評論家」にされた。

 私は別に「会社員」で差し支えないのだが、たまぁに雑誌によっては「書評家」にされた。「文芸評論家」と書かれそうになったのを止めたことがある。小さな雑誌だったので、それで箔付けしたかったのだろう。

 読みも書きもできない元文芸評論家、笑ってしまう。

説明できれば気持ち悪くなくなる?

 ここ数日、傲慢症候群に罹りながら他人を矮小化することで自分を保っている人間について考えてみた。自我を肥大する能力もなく、また幼稚なために善悪の判断も付かず他人を貶めている自覚がないという実態を知ると、何だと笑いたくなる。

 生理的に気持ちが悪いというのは相手が気持ち悪い以上に自分の気持ちが悪いものである。実は今、Facebookで少し気持ち悪い人がいて、なんかよく判らないポエムのような人生訓のようなものを投稿しながら、夫婦で「いいね!」し合っている人だ。

 最初の人物のように変なことをしているから気持ちが悪いというのなら話は判るが、別に人生訓を垂れるのも夫婦で「いいね!」し合うのも、別に変なことではない。しかし自分のどこかで変だと思っているから気持ちが悪いのだろう。

 また、変なことの定義も難しい。小泉純一郎氏は飼っていた鳥(オウムだったかな?)が死ぬと葬らずに剥製にしているという。これは私なんかから見ると十分に変だが、友人に話すと、変か否かということで二分される。

 例えば、小説家は、互いに「いいね!」し合っている夫婦、飼っていた鳥が死んだら剥製にする人、というのを、変な人の描写として使うのだろうか。小説の中に類似した描写が出てくれば「解る!」となるのだろうが、サンプルが少ないだけに気持ちが悪い。

欲望と傲慢症候群。

 先日、読んだ、鷺沢萠短編集『失恋』に『欲望』という1編があった。

失恋 (新潮文庫)

 

 次の1文は小池真理子氏の解説にも出てくる半句なのだが、解釈については当然、小池氏の方が的確かつ上手なので、古本屋で文庫本を読んでいただきたい。

ひとがひとを「信じたい」と思ったり、「救いたい」と思ったりするのは、すべて自分勝手な「欲望」なのだろうか───。そんなことを、また考えた。(新潮文庫版102ページ)

 

 私は少し前に定期入れを拾った。雨の水たまりの中で誰も拾うことがなく底に沈んでいる定期入れだった。そのとき、それを拾おうと思った精神状態については書かない。

 交番に届けに行って、落とし主に要求できる権利について説明を受けた。私は、ただ、持ち主に届いたのか判ればいいと言って連絡先だけ教えてきた。

 数日後、警察署から電話があった。若い女性の警察官が、今取りにいらっしゃいました! 喜んでましたので、きっとすぐにお礼が行くと思いますよ! とりあえず教えたくて! と声を弾ませていた。本当に弾んだ声というのを聞くのは久しぶりだった。

 私は、この女性警察官の言葉に救われた。落とし主からは何の連絡もなかったのだ。それから、落とし物を拾って交番や警察署に届けても、落とし主に届くことで満足する以外の欲望はなくなった。

 

 見返りを求めるという行為は、たしかに欲望である。どこか礼を言われないと救われないと思う節がある。しかし、最近、礼を言われたいというのと違う「傲慢さ」を体験することがあった。

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 これは私のネットストーカーの文章だが、「安心したまえ」と書いておきながら脅しており、また「別れの辞」と書きながら、いまだ粘着を続けている(Blogを転々と変え、別れの辞は少なくとも5回目)。愛情が欲しいのではなく嫌がらせをしたいという「欲望」の表れだろう。

 文章自体幼稚だが、私がブラック企業で200時間の残業をさせられたと書いたら給料を払われていたのでブラックではないとか、夜遊びをすると書いたらキャバクラ通いとか、信用状を読めると書いたら英語の伝票が読めると自慢している(鉤括弧付き)と矮小化してバカみたいである。最初は意図的曲解をしているのかと思ったが、これも書いたが、小学生並みの貧困な発想で、そう思い込んでしまうようだ。

 

 しかし、一見、辻褄が合わないように見えるのは、私の新しいハンドルネームが判るまで、noindexを入れてマスターベーションのように楽しんでいたということだ。また、Googleアナリティクスのユーザーエクスプローラで1日に2時間も見られてキショいと書いたら、その記事をFacebookでシェアしてまでユーザーIDを変えるという方策を学習し実行するようになった。

 

 これこそが「傲慢症候群」のなせる業である。以前のBlogで書いたが「ボク偉いんだもん!」という、偉大になりたい欲望(快楽原則)が、現実を直視し分相応の的確な判断を下す力(現実原則)を上回っているのだ。他エントリーを含めて上記Blogの文体にも注目してほしい。すべて命令形だ。しかも、このネットストーカーの場合、別に政治Blogを持っており、あたかも為政者になったかのような気分になり、快楽原則が高い。

 そして、私に反論されると捨て台詞を吐いて消してしまう。それは、単純に「偉いボク」という快楽原則を否定されたからである。そして、いかにもしそうなことだが、それを私がアカウントを乗っ取って消したことにしてしまう。

 快楽原則が否定されて、相対的に現実原則が高まるといいのだが、サイコパスであるから、何が何でも「偉いボク」でなくてはいけない。私のBlog友達のBlogを数十エントリー辿ってまで私の情報を漁り、それに曲解を加えてまで私に構って嫌がってほしいのだ。上のBlogだと、この辺に顕著。書いてもいないことへエクスクラメーションマーク付きの最高級の毒づきを見せている。

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タイトル

身の程識らずの、向う見ずな冒険。

 

結論

タイトルは読んでのとおりだが、本音も言えば”愚か者”と言いたい。

決して、精神障害なんかではない!

そして、○鹿とも言わない。

自分を識ることのできない愚か者と呼ぶ。

 

 

 他人に感謝されたい、私のネットストーカーはサイコパスだから他人に嫌がってほしい、これらのことは単純に「欲望」だといえるだろう。しかし、幼稚な人間は、欲望、あるいは快楽原則を否定し自分の考えや妄想を超える現実があったとき、現実原則を高めず、それを否定する。

 友人に、この話をしたら、「酸っぱい葡萄」という寓話を教えられた。さながら、葡萄を取る努力を放棄し、あれは酸っぱいんだと思い込むようなものである。他人に構ってほしい欲求とは別に、葡萄は酸っぱいと相手を卑下して自分が偉大でいたいという欲求があることを知った。

 

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久しぶりに他人に会った。

 今、帰った。

 ずっと出歩いていてTwitterでもやり取りができず申し訳ない。
 その後、行きつけの喫茶店へ。午後5時なら空いていると思ったのに30分待ち。
 行きつけのバーも近くにあるので、開店と同時に、そのまま行ってみる。
 果たしてバーに行って酒を飲まないと、どうなるのか。
 写真は撮っていないが、理由を話すと「バーテンダーが作るレモンスカッシュ」他、ノンアルコールのカクテルを作ってくれた。
 酒を飲まなくても、バーというのは、なかなか楽しい場所である。