Minato Serenade

湊の小夜曲  

湊クラシックス③ 府中市の、国立市との境にある私立精神病院のこと。

 今日のエントリーは既に書いたものがあるのですが、今日は世界メンタルヘルスデーということで、以前のBlogに書いたものを再録します。

 


 

 今日は書く気力がない。しかし、駄目なら駄目なりに頑張るを信条としているので、無理して書く。あぁ面白くないものが出来上がりそうだ。

 さすがに努力しているから苦しいんだは飽きたので、高校の話か入院させられた病院か、いずれも「身の上話」の一環として書こうと思った。

 あまりに辛くて覚えていないのか時間が経ったので覚えていないのか、あまり、詳しく覚えていないので、無理して思い出しながら書く。

 


 

 かれこれ10年以上前になるのか。私は、渋谷にあった恩田クリニックという個人のクリニックに通っていた。

 院長の恩田禎先生は既に癌を発症していて、非常勤で来ていた医師に代診を頼んでいた。その医師が、その病院に所属する医師だった。

 恩田先生が、けっこう薬を出す医師だったので、私が服んでいた薬は多く、これを少なくしたいと思っていた。

 そんなとき、その代診の医師に、薬を減らしてあげるよと言われた。私には願ってもいないことだった。

 経緯は詳しく覚えていないが、入院が必要だと言われ、費用的なことは判らないから親御さんに電話してもらってくれと病院の電話番号を渡された。

 それから10日くらい経ってから、私の両親が私の家に来、半ば拉致されるように、その病院に連れていかれた。

 診察の段階で断ればいいやと思った。そうしたら、ものすごい圧迫感のあるエレベーターで4・5階に連れていかれ、鍵付きのドアを2回くぐった部屋に連れていかれた。

 その場で数分、待たされた気がする。親は素晴らしい先生と、わめいていた。

 くだんの医師が登場すると、何も聞かずに入院だと言った。任意入院だから拒否すると言ったら、強制入院に切り替えると言われた。

 

 入院計画書には、病名・部屋に物が多い、目標・親に完全服従と書かれていた。

 

 閉鎖病棟なので携帯電話を持たせてもらえないのは当然だが、テレフォンカードも取り上げられ、手紙を書くことも許されず、外部との連絡は一切取らせてもらえなかった。

 病棟には人権というものがなかった。私は拘置所での勾留も経験したことがあるが、拘置所がキツいと言っている人は即死だろうなと思うほどだ。

 本当、地獄のような思いをしたのに、あまりに覚えていないのは、なぜなのだろう。

 毎日、順調に人が死んでいた。しかし、ナースコールは備わっておらず、ナースステーションにも職員はサボっていていなかったので、急変があると他の患者がナースステーションの前で大声で怒鳴るのだ。

 職員について書くと、まず、担当の看護師はおらず、しかも、頼みごとをしても、その職員しか判らなかった。

 私が、処置がまだだと言っても誰に頼んだのか訊かれるのだが、名札をしていないので名前が判らない。

 名札だけではない。皆、靴の踵を踏んでいて、靴はペッタンコだった。中にはピアスをし、田舎の不良の変形学生服みたいな白衣を着ている看護師がいた。

 また、食事の時間になると看護助手が食堂で患者を凝視し、気に食わないと恫喝した。秩序を守らないというのだが、自分たちも牢名主みたいな患者は優遇していた。

 枚挙に暇がないが、たとえば設備について書くと、鉄筋造りの新しい建物であったが、ものすごい閉塞感があった。

 閉塞感というより威圧感かもしれない。外に行くには鍵を3つ突破しなくてはならず、ガラスは2㎝ほどのものが2重になっていた。

 手入れが行き届いていて、庭師が入っていた。私が入院したの数ヶ月だと思うが、庭師が途切れることはなかった。

 よくTVドラマのロケが行われていた。私が入院している間にも2件、あった。建物が自慢のようだが、中身が伴っていないのは、簡単なことから垣間見れた。

 例えば、広大な駐車場で、外来患者はコイン式の狭い駐車場、職員は普通の駐車場、院長は屋根付きの駐車場だった。

 院長は、毎日キャデラックで通院していたが、数台持っているらしく、私が見ていただけでも3台あった。

 また、院内を通過するとき、患者は常に綱に繋がれていた。これも、おそらく東京拘置所の職員が見たら慌てるのではないかと思う屈辱的な繋ぎ方だ。

 綱に繋がれた患者が院内を通過し、ちょっと列を乱すと恫喝されるのだ。しかし、後に、入院患者は外来患者と接触してはいけないと言われたので、あるいは人払いして移動させていたのかもしれない。

 私が入院し始めたのは、まだ夏だったが、病室は室温30℃を超えていたと思えるのに、ナースステーションは非常にヒンヤリしていた。

 病院の秩序は、非民主主義でできていた。私には、院長がいちばん偉くて、患者がいちばん下に見えた。病院のワーカーさんと話をしたのだが、医師が怖いと言っていた。

 病室は、いつもピリピリしていた。牢名主の顔を伺い、かといって、それだけでは安心できない。

 病室では毎日のように盗難が起きていた。しかし、職員は何も対処してくれないので、しびれを切らせた被害者は、公衆電話から110番していた。

 私は発狂寸前だった。気分的なものだけではなく、変な薬を与えられ、例えではなく発狂寸前だった。おそらく、あそこに刃物があったら防衛本能で自殺していたのではないかともう。

 私は、毎日、死の恐怖に怯えていた。同じ病室の患者が、バッタバッタと死んでいくのだ。そして、その中に知った顔があったのも恐ろしかった。

 その患者は、やはり同じクリニックの同じ医師の担当だったが、やはり代診で、その病院の同じ医師の担当になったのだ。

 入院する前、その患者は元気で、一緒に飲みに行ったことがある。数週間前から電話が通じなくなっていて、案じてはいた。

 それが、入院してみると、同じ病棟で、痩せ細って車椅子に縛り付けられているのだ。食事などで固定を一部解除されることがあったが、ほとんど動かなかった。

 廃人同然になっているのに車椅子に繋がれいた彼は、目に見えて悪くなっていった。そして、私は訳の解らない薬を服まされ正気を保つのも精一杯だ。

 外部に連絡を取ろうにも、電話も自由に架けられないので法務局に電話をすることもできない。

 それでも、親は片道2時間以上かかる道を、車を運転して週に1度、見舞いにやってきた。

 私が発狂寸前だと訴えても、良くなった! 良くなった! と大騒ぎして帰って行った。医師についても、素晴らしい先生だと、まるでアイドルのコンサートにいるファンのように絶叫した。

 私が、発狂寸前だ、どこが良くなったのかと訊くと、バカ面がマトモになったと言った。そして、素晴らしい先生を繰り返した。そして、医者のいうことは良く聞けと言った。医者の言うことは親の言うことなのだ。

 ある時、友人が見舞いに来た。私は面会謝絶であるから当然、会えないのだが、職員が、「許可をした○○さんという人が見舞いに来たけど追い返しました」と言う。

 これを聞いたとき、この職員はバカかと思った。会えないのになぜ許可を出した? そして、なぜ外部との連絡を絶たれている私に言うんだ?

 ともあれ、唯一の望みである見舞客は絶望的だった。しかし、よく私が、その病院に入院させられていることを知ったものだ。

(ここまで書いて、なんか辛くなってきたので、後は駆け足。)

 私は方針転換した。機会を伺っていたら、やがて作業療法というものに参加させられた。そこにPCがあったのだ。

 作業療法室は70坪ほどだったと思う。そこに100人以上の人が詰め込まれ、1畳のスペースに2人程度の密度だった。

 それらの人が縄に繋がれて出入りするのだ。それに付きっ切りで職員の目は届かない。そして、私はPCを操作した。

 そのPCはイントラネットに接続されていたが、TELNETでルーターにアクセスしたら、簡単にインターネットにアクセスし、Webブラウザーも使うことができた。

 ルーターのコマンドなんて忘れているし、どうしたのか判らない。ひょっとしたらルーター越えをしたつもりになっているだけで元から繋がっていたのかもしれない。

 とにかく、私は自分のBlogにアクセスした。当時はBlogなど書いている人はおらず、私のBlogは人気Blogになっていた。

 私は自分のBlogにSOSをアップした。それを数日、繰り返した。コメントをくれている人に出版社の社員がいて一縷の望みを持っていたのだが、エントリーを見て生きていると安心しましたとコメントがあり気落ちした。

 そんなある日、私は、警察署の取調室の半分ほどの狭い部屋に呼び出された。Blogの存在が明らかになったのだ。まだGoogleがあったかどうかという時代なのだが、職員は自分の病院の評判を綿密に調べているようだった。ちなみに、今も病院名で検索をしたら悪い評判はヒットしない。

 そして、私はPCの前に連れて行かれ、私のBlogの最新のエントリーを見せられ、これは何だと言われた。病院のプライバシーを侵害していると言われた。

 病院のプライバシーというのなら、外部に対しての物なのでインバウンドは関係ないはずだ。しかし、レスが60件以上付いているから読まずに消せと命令された。

 読んだら、どうなるのか解るのかとまで言われた。私はエントリーを非公開にして後で読もうと思ったのだが、それも許されなかった。

 あの病院での思い出は恐怖しかない。脅され、職員もいないところで患者がバタバタ死んでいくのを見、気が狂いそうな薬を服まされていたのだ。

 しかし、Blogが功を奏したようだ。親に訴える電話がガンガンあったようで、親が入院費を払い、私は解放された。退院というより釈放だった。

 親は、見舞いに行くと手が震えていておかしいと思ったのよと勝手なことを言う。あの先生のことをどう思うと訊くと、そんなことは他人に聞くことではないと言う。

 そして、恩田先生に事の次第を話すと、口惜しいなぁと言う。車椅子に縛り付けられていた患者は、老人ホームに入っている親とアメリカに赴任している弟しか身寄りがないと言う。

 その患者は、最後に見たときは、車椅子ではなく、ベッドに縛り付けられていた。磨いてもらえないので歯もなくなっていた。看護師は持って数日とカジュアルに言っていた。

 私は、見舞いを装ってスパイしてきてくれと頼まれたが、今度、あの病院に足を踏み込んだら2度と帰れない気がした。そして、彼の携帯電話に架けてみても、メッセージは、現在使われておりませんに変わっていた。

刺激と同調。

 以前にも書いたが、私は読書などをインプットといい著述などをアウトプットというのが嫌いである。読んだものをそのまま書くのなら、それは未消化な単なるコピペである。

 さて、昨日は通院だった。日中、何をしていますかと訊かれ、なかなかTVドラマや映画を観たいけど観られないんですと答えた。本を読もうと思っても身が入らないんですとも答えた。

 楽しみがあるといいですねと言われ、Blogを書いているのだが、どうも面白くないとも答えた。そりゃそうでしょうね、と言われる。どうも主治医もインプットという言葉がぴんと来ないらしく、インプットというより何か刺激が欲しいですねと言われる。

 刺激といえば、昨日、一昨日放送されたTVドラマ「東京タラレバ娘2020」を観た。眠剤で寝ているので、午後9時を過ぎると朦朧として観たことを覚えていないから昨日観た。しかし、よく船盛が出てくるな。

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 原作は知らないが、ほとんど連続でやっていたときと内容が変わらない。そうそう、主人公は和朗フラットに住んでいるんだっけ。まだ引っ越していないんだ。ちなみに賃貸で借りると、あの広さで15万円程などで、立地からいうと高くはない。(2017年4月24日撮影)

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 その中で、結婚式で男を取られる主人公が、相手の女の勤務先にやったことをバラしてやりたいと言って、これは笑い話であるのだが、私はネットストーカーのことを考えるとシンパシーを感じてしまう。

 以前のBlogの目指すところは硬派な文学作品だった。毎日、書くのが苦しかった。しかし、遣り甲斐はあり、熱狂的に支持してくださる読者もできた。それを、茶々どころか嘘を加えてファンまで襲い閉鎖させたネットストーカーは、本当に、勤務先にバラすどころか殴り殺してやりたいと思う。

 どうして、ここまでネットストーカーへの恨みが大きいのかというと、それだけのことをされたからである。そして、以前のBlogの、苦しいけれど、それに伴う達成感というものが忘れられないからだ。

 そういう意味で、ネットストーカーは強烈にイヤな刺激であった。いや、10年間、毎日私をヲチしているというから、イヤな刺激であると言った方がいいのか。

LINEは所詮、元Livedoor。

 ネットストーカーが私を誹謗中傷するBlogをライブドアブログに開設している。そこで私の写真などを無断で載せているので削除依頼を運営元のLINEに出した。開設者より削除しないと回答が来たので削除しないという。

 ネットストーカーは過去、いろいろなBlogサービスで私を誹謗中傷してきたのだが、削除しなかったのはLINEが初めてでビックリ。というか、方々で削除されて流れ着いたのがライブドアブログで、やっと安住の地を見付けたということか。

 さらにネットストーカーはLINEから来た削除依頼Eメールも載せ始めた。LINEが私に送ってきたEメールは転載禁止と書かれているのに、お前はネットストーカーには禁止しなかったのかとLINEに問い合わせた。

 即時に返事が来たのだが、このような文面を送りましたという写しが送られてきただけ。そこには転載禁止と書かれていて、お前、転載禁止と書きながらネットストーカーが転載したことについては何もしないのかと返信した(転載されているページのURLは、それ以前に当方からのEメールに記載済み)。

 こういう文面を送りましたという写しは1時間もしないで来たのだが、今回は、丸1日たっても来ない。そして、所詮「NAVERまとめ」や「したらば掲示板」を運営していたLivedoorなんだなと思った次第だ。何が「LINEみらい財団」だ、鼻で笑っちまうぜ。

目的のない文章とSNS。

 言葉には何かを伝える目的がある。言葉に限らず表現というものはそういうものだろう。目的があると目標が生まれる。目的をどれだけ達成できるかということだ。例えば美味しいケーキがある。ケーキの美味しさの何割が伝わるか。

 先日、ある社会的地位がある人に誰にも読ませない文章があると言われ目が点になった。そんな文章があるかいと言うと日記がそうだと言う。日記だって後日、自分が読むためのものだ。もうひとりの自分が読むと言っていいだろう。

 先日、文章が上達するには日記にも向上心を求めるべきというようなことを書いた。そのためには何を書くべきかという目的がなければ描き切るという目標が生じず、向上心が介在する余地がなくなる。

 実は今、無目的にこれを書いている。Twitterで流れてきた「書くことがなくて書いているBlog」を見てみたのだが、やっぱり面白くない。今までも「解らない」を表現する文章を読んで面白くなかった思いが多々ある。

 あぁ、今、書いているこのエントリーも面白くないんだろうなぁと思う。しかし不思議なのは、それらの「書くことがなくて書いているBlog」にもコメントが付いていることだ。そこで、文章を理解するとは何なのか訳が判らなくなった。

 文章でなくてもいい。絵でも音楽でも白紙が1枚とか全くの無音というのは果たして表現なのか。そして、皆、それについての感想を述べず、それを書いた(書けなかった)人についてコメントしている。

 コメントの対象は作品ではなく表現者である。作品不在である。表現物の背後にある人間とのコミュニケーションを目的とするのは、すでに作品発表の場ではなくSNSである。まぁ、作品の評価ではなくもコメントが付いているのは羨ましくはあるが。

より良く。

 昨日、道案内をした。スマートフォンを見るには見ていたが、明らかに困っていた就活中と思しき女の子だった。

 暇人であることもあって道案内をすることは嫌いではない。ただ、渋谷などで外国人観光客を案内するのとは少し違う。

 まず、目的地が有名どころではない。また、住宅街なので目的地まで一本道ということもない。

 昨日は、その女の子がスマートフォンを持っていたので、地図の向きと現在地を教えた。

 それでスマートフォンのマップを使って目的には確実に着けるはずである。ただ、そのときは住所も聞いたので、もう少し丁寧に教えられた。

 バス停で3つほどあること、大通りに出たほうが道が判りやすいこと… 後になると、あれもこれも教えればよかったなと思う。

 道案内をするのは少しでも他人の役に立ちたいという気持ちからである。そして、もっと役に立つことができたのにと残念に思う。

トラウマ。

 家にいるとイヤな思いに駆られるので、喫茶店から慣れないスマートフォンで、これを書いている。友人でPCが壊れたからスマートフォンで仕事の書類を作ったという奴がいるが信じられない。
 朝、夢で魘されて目が覚めた。厳密には眠剤で寝ているので魘されながらも目が覚めなかった。精神を病んで動けなくなったときに父親に殴る蹴るされたときの夢だ。
 結果、精神科医に親から引き離されて実家からも追い出され、それから30年間、独り暮らしをすることになるのだが、当時は今のように親が子供を… などということは信じてもらえなかった。
 親の手を振り払っただけで家庭内暴力だと親自ら110番し、警察官も親のいうことだけを聞いて私を殴った。もっとも大人になって、この話を警視庁の警察官に話をしたらショックを受けていた。
 当時の私の心理としては、それは抗えないことだとしか思わなかった。虐待されていたという自覚もなかった。なのでトラウマという言葉が人口に膾炙するようになったとき、そんな嫌な思い出ぐらい誰にでもあると思っていた。
 その事実に魘されたりするようになったのは最近のことだ。初めてトラウマというものの存在を信じるようになった。
 最近、このようなことを思い出す原因としてネットストーカーの存在もあるだろう。私をキチガイに仕立て上げ、それを妄言だとして親のことを正当化してはTwitterなどで嫌がらせをしてくる。

 忘れたい心の傷に塩を塗るやつはブッ殺してやりたいと思う。

死にたくないわけではない。

 調べたら、昨日、酒を飲んだのは2ヶ月ぶりだった。もっと前から禁酒しているので、前回も今回もチートのようなものである。

 以前も書いたが以前の訪問看護師に止められている。ひとつは向精神薬を服んでいるからで、ひとつはリラクゼーションケアをしてもらっていて血行が良くなりすぎるから。

 向精神薬を服んでいることについては、今まで掛かった医者は、酒を禁じるのは少ない方である。その訪問看護師は、それで死んだ人が何人もいるのにと言う。

 もうひとつのリラクゼーションケアについては、やってから何日も経っているので大丈夫と思って酒を飲んだら血行が良くなり頭がガンガンに痛くなった。

 ロキソニンを服んでも頭痛は引かず、過去、医者に、よく生きているねと言われたことを多々しているが、なんとなく、これは駄目かもと思った。

 そして、まぁ、駄目なら駄目でいいやと思った。我ながら、意外と生に対する執着というのはないものだなと思った。

 以前、酒を飲んだとき、その訪問看護師に死にたいのかと言われた。この人は、例えば毎日入浴するという決まりが守れなくても鈍なのだが、酒を飲み始めると、まさか飲んでいないでしょうねと電話が架かってくるときがある。

 訪問看護師も一長一短があり、その訪問看護師ではなく、今、お世話になっている人は、入浴ができていないとか、Blogを見て精神状態が悪そうとか、そういう空気を察する方である。

 他方、以前、お世話になっていた方は、私が起きて恐怖を感じるとき、恐怖は起きてから入り込んでくる感じですか? などと訊いて、私が恐怖を感じていることを理解してくれる人であった。どっちを取るかである。

 話を元に戻すと、死にたいのかと言われたとき、別に死にたいわけではないが死んでもいいと思っていた。楽になれば生きていても死んでも構わない。つくづく生に対する執着というのがないものだ。

 なんか、最近、芸能人の自殺に端を欲する以外にも自殺に関する話題が多いので、ちょっと書いてみた。やはり私の周囲では苦渋の決断なのだからと受け入れる人が多い。

 

 最後に、自殺未遂をした経験者として信じてはいけない言葉を2つと信じたほうがいい1文。

 最初は

自殺をする人は死にたいほど生きたいのだ。

皆目、何が言いたいのか判らない。

 もうひとつは

死ぬ気になれば何でもできる。

いや、だから、死ぬ気になったら死にますって。これを言う人は死ぬ気になったことがないはずだ。

 そして、「死にたくないわけではない」人の1文。やらなければ死ねないということを作る方が、よほど生産的である。

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